日本の教育は社会問題から逃げている

今回は語ります。面倒な人はそっ閉じしてください。

金曜の夜にNHKの障碍者の番組、そして日曜の夜にMrサンデーの中で認知症のドキュメントをやってたのを見ました。障碍者や認知症への理解は自分ではある程度はしているつもりでしたが、それはつもりになっているだけで、実際とのギャップを感じます。

そこで考えたのは日本の学校教育は本当に社会に向き合っているものなのか、社会に必要とされているものなのか、もっと言えば生きていくために必要なことなのか、です。
1192作ろう鎌倉幕府、春眠不覚暁(春眠暁を覚えず)、法則、定義、定理…こんなものをわざわざ覚えさせ、記憶力の点取りゲームをすることは必要なのだろうか?ググるなりAIに質問すればいいだけで、その時間を障碍や認知症といった今現実の社会に触れて議論して理解する時間に使えばいい。
世の中には答えが見つけられない、もしくは答えを自分たちで定義しなければならない問題は多い。考える力だの論理的な思考だのを鍛えるために学校教育は必要だ、みたいなことをテレビで主張する人はいるけど、決められた答えを導き出す教育に生きていくために必要な論理的な思考力が鍛えられるのだろうか?
少なくともその論理的な思考力には社会にとって重要な創造力とコミュニケーション力が欠けている。本来組み合わさっているべきものを隔離して教育をするから、子供は大人になるまでに再構築しなければならず、学歴があっても使えない人はそれがうまくいかなかったのであろう。(それでも大丈夫なのが日本の終身雇用・年功序列なわけですが)

もしかすると社会の問題を教育の場で扱うのはタブーなのかもしれない。オレが会社の教育で同和問題について知り(最初、差別を描いた童話と勘違いしたくらい)、学校で習ったのは歴史上のえた・ひにんくらい。
教職が肉体的/精神的には辛い部分が多いことは母親が教師やってたから重々承知ではあるけど、社会の問題について向き合わな日本の教育は子供たちが直面する社会問題からは逃げていると思う。

2017年08月20日のニート活動記録

<睡眠>

  • 就寝 04:00
  • 起床 09:15
  • 昼寝 12:00-13:30

<やったこと>

  • 実家の犬猫の面倒
  • regコマンドについて調べた

<見たテレビ>

  • ドラゴンボール
  • ごめん、愛してる
  • Mrサンデー

<出費>

  • 犬のおやつ 1,292円

<クーポン/ポイント>

  • なし